”強力(ごうりき)”のじいちゃんと行く富士山観光 富士山レーダードーム館
2014年8月28日 | 過去記事
8月27日に元”強力(ごうりき)”のじいちゃんと富士山周辺の観光に行ってきました。
強力というのは、まだ富士山での交通手段が発達していない時に、お客様の荷物や富士山で必要な機材や食料を運んでた”山の達人”の事です。
まず最初に行ったのが、
富士山レーダードーム館。
富士吉田市にあります。何年か前に富士山レーダーを取り払う際にここにレーダーを移設したそうです。
ここには、観測所の歴史はもちろんの事、それに関与した強力の資料も多くありました。
ヘリや強力が運んだ道具や機材について。建築工事は昭和40年に行われたそうです。
観測所のドーム部の設置が相当難しいと記載されていたのですが、実は設置したとき、じいいちゃんはその場に立ち会っていたようです。
”確か、伊東高校をガイドしているときにヘリコプターから降ろされるドームを見たなー”なんて懐かしそうに話していました。
直木賞受賞作の「強力伝」のモデルになった名強力の梶房吉さんの資料がありました。じいちゃんは梶さんとは親しくいていただいていたようで、
”小柄だけど、冒険家のような人で、お客さんを連れて行ってはみんなに梶さんを紹介したなー。梶さんはよく山小屋であったからこんなに登っているとは知らんかった”と話していました。
梶さんは先日登山家の實川さんが更新するまで、富士山の登頂記録1672回という日本記録を持っていました。
資料館の中には、富士山を体感できる、という売りで頂上付近での風速5メートル、10メートル、15メートル、を体感できるルームがありました。体感温度はマイナス10℃くらいのようで、とても寒かったです。
じいちゃんは、”おらが入っていたら心臓とまっていたかもな、はははは・・・”と笑っていました。
帰り際に、”富士山レーダーの建設ドキュメント”の上映が始まりそうだったので誘ってみたら、
”もう昔、建設の様子は見ているから用はない”
と一蹴(笑。予測していなかった返答に笑ってしまいました。当時を知る数少ない貴重な存在なんだとその時再確認しました。
昔を思い出しながら話すじいちゃんの目がとても印象的でした。
強力というのは、どんな状況下においても”重い荷物をもって運ぶ人”というイメージで”強さ”が先行していましたが、
彼らは富士山レーダー建設や道路作り等、現在に至るまでの富士山の歴史の生き字引であり、貴重な存在だと再認識ました。
この日は、忍野八海や洞窟にも行ってきたので、それはまたアップします。